インタビュー シューレ大学で探究するということ

私であるために絵を描く 山本菜々子の巻

シューレ大学の学生やスタッフにさまざまな話を聞く、シューレ大学インタビュー。まず最初は、山本菜々子さんです。菜々子さんは、演劇や絵、研究、音楽など幅広い活動をしていますが、絵を描くことに最も力を注いでいます。

第1回 私が私であるために絵を描く

07.02.16up
初回は、菜々子さんにとって「絵」とはどういうものなのか。
絵についての思いを語ってもらいました。

ほんとはこんなグロテスクな思いを
私は抱えている

――今はどのように絵を描いていますか

最近こういうことがあってね、こういうふうに変わって、こうなったんだよとかいうふうに、嬉しかったりとか苦しかったりすると、人に説明しますよね。

でもそれって、ほんとに、私自身の歴史、いろんなことを感じてきている中で言う事だから、そんな一瞬じゃ話しきれない。絵を描くということは、それをぐっと凝縮して、いっぺんに伝えられる手段かなと思っているんですよ。

私は人と話している時も、一生懸命になると、知らないうちに自分の内臓が出てしまう。隠せなくなっちゃう。だけど、それでも自分の中に、言葉にしきれない、隠している部分がある気がする。人と対面していると、これは言えるなとか、言えないなとか、自然と自分で選んでいる気がする。そういう、人に言えないものをできるだけ写し取りたい。真剣すぎて恥ずかしい、と思っちゃうとか、こんなことを考えていていいんだろうかとか。あと、ほんとはこんなグロテスクな思いを私は抱えているとか。そういうことを最近は意識して描いているんだと思うんですよね。

この絵

この絵も、自分がバラバラで不安で、真ん中にいる女の人の体の下が見えないじゃん。自分の体が、自分の手が届かないところに行っているっていう感じがあって。そのバラバラの自分を取り戻したいという気持ちでね、これは描いているんです。

そういうような絵を今は描くようになっている気がする。わかりやすい絵はダメだと思っていたんだけどね。こんなね、明らかに不安そうな顔をした、しかも手とか足とかが川を流れているとか、イヤじゃん。そんなに辛いとか言わなくていいじゃん、みたいに思ってしまう自分もいる。でも、今の私っていうのは、少なくともそうだから、しょうがないから、描くしかないなと思っている。

生きている根源に出会いたい

――どうして、そういった絵を描きたいと思うんですか。

多分、絵じゃなくてもいいんだけれど、今のところしやすいのが絵なんだ。自分は日頃、やっぱり抑えてしまう。生きたいように生きられない。まともになろう、まともになろうとしている私がいるんですよ。そうじゃなくて、私が知らない私がある気がして。覚えているんだけど、忘れているっていう感覚なんですけど。そういうのを思い出したいし、生きている根源に出会いたいというのがあって。

インタビュー風景

自分の中の深い井戸みたいなところに、いろんな偏見だとか、苦しさだとかがいっぱい溜まっていて、その場所の、より奥の方に私がいる気がして。そこにいる私を見たい。それはすごく広い世界につながっているんじゃないかっていう確信をなぜか持っていて。その場所を掘り下げていって、結局突き抜けていけば、人とつながるはずだって思っていて、その突き抜けた場所に行きたいから、描きたい感じがする。

―― 絵を描くことにからんで、紀要*1の第3号にも「芸術と生きる」*2という文章を書いていますよね。その文章を書く中で、発見などはあったりしましたか。

私が絵を描くことと、生きるということが、すごく重なっているという実感がある。そう思ってから、じゃあ人にとって芸術、表現って何なんだろうってことを考えたかった。大義としての芸術がではなくて、人が人であるための手段なんだということを伝えたかった。

とっても苦しかったですけど、書き上げました。私の中では、学校でする勉強の内に芸術も入っていたので苦しかったんだな、ということがより明らかになった。芸術はすごくわからなきゃならないものというイメージが強い気がするんですよね。精神的な金持ちにしかわからないものというか、貧困な人にはわからない、触れてはいけないというイメージがあって。それって勉強と価値観が近い気がして。そういうものが、私が絵を描くときとか、ものを見るときとかに影響してるんだなというのを実感しました。

<次回につづく>

紀要*1 シューレ大学の学生の研究やアドバイザーの講演録を収めた冊子。1号から3号まである。興味のある方は大学出版物をご覧下さい。
「芸術と生きる」*2 菜々子さん自身の半生を「芸術」や「生きる」ことに関する体験から振り返り「人が生きていくのに、芸術は果たして必要なのか」という問いを己と世界に突きつける、渾身の一作。